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奇跡体験アンビリバボーピーターノーマンさんが登場します。

ピーターノーマンと聞いて、誰だかわかりましたでしょうか?
筆者は全然聞いたことがなく、全くの初耳でした。

調べてみるとこの人は、1968年のメキシコオリンピックでの男子200mの銀メダリスト
と言うことがわかりました。

しかし、どうやらただ単にメダルを取った人、とは違うようですね。
それが今回のアンビリバボーで取り上げられるようです。

今回はそんなピーターノーマンさんについてまとめてみました。
それではいってみましょう!

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ピーターノーマンの経歴

ピーターノーマンさんとは一体どんな人物なのか?
まずは経歴をまとめてみました。

ピーターさんは、1942年オーストラリアビクトリア州に生まれ、
2006年の64歳まで生きました。

元短距離の陸上選手です。

1968年に行われたメキシコオリンピックでは、全く期待されていないながら、
なんと予選でオリンピック記録を更新します。
そして決勝でも2位を取り、銀メダルという成績を残しました。

なぜピーターノーマン選手が期待されていなかったか。
それは、200m走には世界記録保持者のアメリカのジョン・カーロス選手や、
トミー・スミス選手といった超一流選手がいたからでした。

実はこの二人との出会いがピーターノーマン選手の今後の人生を大きく変えるのでした。

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ピーターノーマンのメキシコオリンピックでの行動は?

ピーターノーマンの行動の前に、当時の時代背景から説明します。

当時アメリカでは、キング牧師やケネディ大統領が暗殺されるなど、
歴史的にかなり荒れている時代背景がありました。

アメリカ国内では、ベトナム戦争に対する反戦運動が活発に起こり、
同時に人種差別などが引き金となり、暴動も多く起こっていました。

当時黒人は特にひどい差別を受けていたといいます。
そんなさなかに、メキシコオリンピックが行われました。

そして、表彰台では、アフリカ系のアメリカ人であるトミースミスと、
ジョンカーロスは、ブラックパワー・サリュートという黒人が拳を高く上げて、
差別に抗議する行為をしました。

しかも黒人の貧しさを表現するために、シューズをはかず、
黒い靴下のみで表彰台に上がりました。

長いオリンピックの歴史でも、表彰台でここまで、
政治的な行動をした人物はいないそうです。

そしてピーターノーマンはこの写真では、何もしていないように見えますが、
この二人の行動に共感して、「人権を求めるオリンピックプロジェクト」のバッジをつけたと言います。

決勝レース後に、二人から「人権を信じるか?」と聞かれ、
「信じている」と答え、「僕も君たちと一緒に立つ」といったそうです。

また、二人の黒グローブを一人でつけるのではなく、
片方ずつつけることまで、彼が助言したということです。

ピーターノーマンのその後

もちろんこんな行動をとったトミーとジョンは、示威的行為を行なったとして、
スポーツ界から事実上追放されてしまいます。

そして、ピーターも同じように、歴史から抹消されたかのような扱いを受け、
1972年のミュンヘンオリンピックでも、資格となる記録は出しているにもかかわらず、
出場は認められませんでした。

その後スポーツ界を引退したピーターノーマンさんは、
体育教師や肉屋の職を転々として、家族ともに後ろ指をさされる生活をすることになります。
そしてとうとうアルコール中毒や、うつ病になってしまいます。

そして、誰からも認めれれることなく、
2006年に死去します。

しかし、2012年オーストラリア政府から正式に死後謝罪を受けることになります
政府は、ピーターに対してとった行動に謝罪をします。

自分の信念を貫き通すために、生涯を棒に振った男、
ピーターノーマンさんの人生も亡くなってからにはなりましたが、
最後の最後で報われた形となったんですね。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

複雑な社会背景や、差別問題などあり、
それに立ち向かい、信念ある行動をとったピーターノーマンさん。

単純にかっこいいですよね。
そんな差別なんかがなくなる日がいつかくることを心から願います。

それでは最後までお読み頂き、ありがとうございます。
引き続き他の記事もお楽しみください。

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